先日、都会に住んでいる友人が帰郷しました。お母さんの法事で帰るから、都合がついたらぜひ会いたいとのメールをもらって、お互いに楽しみにしていた再会でした。
列車が出発するまでの2時間半、お互いになんだか母親に似てきたと言われるようになったね・・・の挨拶に始まって、久しぶりの食事会とおしゃべりを楽しみました。
彼女は小学生の時の記念写真やスナップ写真を何枚も持って帰っていました。この日のためにアルバムからはずされたであろう思い出の写真は、すべてセピア色になっていましたね。
まだまだ若いつもりでいたけれど、歳月の流れを感じるわねと、同級生の話やら、お互いの近況報告など話すことはたくさんありました。
「ところで、この前会ったのは何年前だった?」という話になりました。前回はお父さんのお見舞いに帰ったとかで、少し余裕を持って会うことができたのでした。2人で母校にも足を延ばし、誰もいない校庭をあちらこちらと歩きながら、写真を撮りました。
「ちょっと待ってね」と、彼女はケイタイの写真を検索。お互いに、もう10年くらいになるかしら・・・と2人で話していたのですが、写真の日付を見たら、6年前でしたね。
お孫さんの写真も見せてもらいました。「男の子みたいでしょう」と笑っていましたが、とても元気そうな赤ちゃんでした。お父さん似だそうです。
そして次々と写真を見ているうちに、バースデーケーキの写真が目にとまりました。誰のバースデーケーキだろうと思って聞こうとしたら、「これは私のバースデーケーキ、昨日弟夫婦が祝ってくれたのよ!昨日は私の誕生日だったの」とのことでした。
「生まれて初めてのバースデーケーキよ!嬉しかった!」
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言われてよく見たら、ケーキには彼女の名前が書いてありました。弟さん夫婦から「お誕生日おめでとう!」と言われて、ケーキを見せられた時の彼女の驚きと喜びの表情が見えるようでしたね。
実は他の姉妹は一足先に帰郷していたそうなのです。ところが彼女は初孫のお世話で帰ることができなかった。やむなく一人だけ一足遅れての帰郷となったとのことですが、ちょうど帰宅した翌日が誕生日だったというわけです。
世の中に偶然というものはないそうですから、これはお母さんがあちらの世界からそのように手配して下さったのかも・・・と思ったことでした。
誕生日は、命がけで自分を産んでくれた母親に感謝する日だと聞かされたことがあります。若い頃に誰かが教えて下さいました。
誰も自分が生まれた時のことを覚えている人はいません。でもどこか遠い記憶の中で、自分を産んでくれた母親との“絆”のようなものを感じるのが、誕生日なのかしら?と、この頃の私は思います。
私達が子供の頃は、バースデーケーキどころか、子供達の誕生日を祝うという習慣はありませんでした。家によっては、1歳の誕生日には一升餅を背負わせるというお祝いをしているところもあったようですが・・・。
戦後のことですから、皆生きるのに一生懸命だったこともあるでしょうし、まあどの家もきょうだいが多かったですからね。誕生日どころではなかったのでしょう。
68歳の誕生日。そして生まれて初めてのバースデーケーキ。
弟さん夫婦の優しい心遣いはキャンドルの優しい灯火の思い出として、これからもずっと彼女の心と体を癒やし続けてくれることでしょう。
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